一期は夢よ、ただ狂へ

芸術系に通う限界女子大生の日記。うつ病を引きずりながら復学。

心の経年劣化

 

「肩甲骨が浮いてきたね」

 

風呂でそう指摘されたのはつい最近の出来事だ。

 

姿勢を正さなければならない環境から離れて結構経ったんだ、なんて思ったりした。

 

 半ひきこもり生活はもう10ヶ月目に突入した。そんな私の唯一羽を伸ばせる時間は八の字との逢瀬だ。申し訳ないことに私はお金を稼ぐ努力すらしなくなったので、自宅から車で30分ほどの場所まで向こうに来てもらって時々遊んでいる。

 

過保護な親には決まって「友達の家に遊びに行くから」といって家を出る。複数の友達と遊ぶから、と買った手土産になるはずのメリーの40粒入りチョコレートを渡してしまったのは今でもちょっと後悔している。もっと上手い言い訳をして良いチョコレートを渡すべきだった。

 

私の体調は特別いいわけでも、悪いわけでもない。なんてったって精神疾患を背負った私の心には常に《自殺する》という選択肢があって、徐々に戻りつつある体力がそれに少しずつ可能性を纏わせているからだ。

 

調子が良くなるごとに死のうと思えばいくらでもできる環境が整ってゆく。我ながら皮肉な話だと思う。

 

そういう思考に陥ってプラスの方向に傾けるなら百歩譲ってもそのほうが現状よりマシ。だけど、残念なことに自己肯定感を踏みにじられるような出来事が何件かあったので今の私の心はそう簡単にプラスの方向に傾いてくれなかった。

 

ひとつめは『留年』。

 

先日復学届を提出するために久々に行った大学で、私は留年という言葉を突きつけられた。私の通うFラン大は基本的に留年者を出さないことで有名だ。その証明に、単位の危うい先輩方は教授パワーでなんとか留年を免れてきた(これはガチ)。

 

けれど私はあることを失念していた。2年のうちに1単位でも取らなければ留年するということに。

 

ひと学部30人にも満たない私の大学で留年することは即ち『社会的死』を意味する。同じ専攻なら学年関係なく全員が全員名前と顔が一致するくらい、狭い世界に押し込められていると説明したら大体察しはつくだろう。下手したら高校時よりも狭い社会で生きている。

 

海外研修や卒業制作展の手伝いなど、学部内で協力することの多い閉塞的な学校であるがゆえの悩みがあとを経たない。

 

Fランで留年、という最悪の烙印も同時に押されてしまった。プライドを捨てればいいのだろうか。当分は立ち直れそうにない。

 

そしてふたつめは『虫歯』だ。

 

私の身体はどこも酷い有様で、肌は常にアトピーのように痒みがあり所々ただれている。小学生の頃から頭頂部だけ髪がない。五感のうちひとつは難ありで、何をしなくても常に満身創痍に近い状態であった。

 

そんな私にもひとつ自慢できることがあった。歯だけは並びも形も良く、虫歯をしたことがない。ネットで小さい頃に歯列矯正をさせてくれた両親を持った子が羨ましい、歯並びが悪いせいで笑顔がぎこちない、といった投稿を見るたび私は唯一歯だけは自信が持てるようになった。

 

けれど、日々だらだらと過食をするせいでついに親知らずと歯茎の間に膿ができ、歯の至るところに痛みが生じるようになった。

 

一日数回歯磨きをするよう心がけていたがケアの方法を間違えてしまったらしい。膿からは信じられないほどの異臭がする。美味しいご飯もこれでは食べる気にならない。

 

 

最後に、これらは全て自分が引き起こしたことであって誰も悪くない。大学に入って真面目に勉強して成績もしっかりとれていたのに休学からの留年、自信の喪失。何がいけなかったんだろうと思い返すたびに自分は馬鹿でどうしようもなく前に進もうともしないゴミクズであることを痛感した。自分が思ってる以上に落ち込んでいるので、創作物を手にとっても面白さがイマイチ響いてこない。

 

生きるのがめんどくさい。真面目の次は努力という言葉が嫌いになった。できることなら早く死んで綺麗な海に骨を撒いてほしい。蒔いた骨からガスが出て海を汚してしまったなら、それは弔いきれなかった私の醜い感情だ。

 

死にたい。