一期は夢よ、ただ狂へ

芸術系に通う限界女子大生の日記。うつ病を引きずりながら復学。

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「バリバリ動けていた頃の自分への憧れがまだ捨てきれてないんじゃない?」

 

という八の字氏の言葉を未だに引きずってます。

確かに、レベルの高いパフォーマンスを継続して行えるほどの気力は今の私には残っていません。

 

大人になる前に自身の限界を知り、受け入れてしまうことへの失望感ってどうしてこんなにも大きいのでしょうか。”限界を知る”なんて30代に突入してから言う言葉だと思ってました(既に30超えてる方には失礼極まりないのですが、本当にそう思っていました)。そこで「いや私はまだ出来るんだ!」と躍起になれない自分が情けないです。

 

そうやってひたすら自責することしか今の自分には出来ないんです。悲しい。

 

私はワキガ持ちです。中高生の頃にワキガのことを指摘されてからずっとコンプレックスで、でもそういう類の治療に理解のない両親は「それ以外の方法でどうにか対処しなさい」の一点張りでした。なので大学生になってからは毎日下着に脇汗パッドをつけて通学していました。それまでは気持ちが高ぶったり、大笑いするとワキガ臭が強くなり周囲を不快にさせてしまう為感情の起伏を抑えていましたが、パッドをつけることでそのような不安は一切消えました。消えたけど、経済的なことを考えればパッドを継続して購入するよりも安いレーザー治療で治るんならそのほうがコスパが良いのでは?とも思います。

 

今回こういった話をしたのは、ほぼ毎日家に閉じ篭ってパンティー、Tシャツ、ジャージの3点しか身につけていない自分が今日みたいにバラエティー番組を見てゲラゲラ笑っているとワキガ臭が濃くなって折角の笑いも台無しになってしまうような、そんな出来事が自己嫌悪に拍車をかけてしまって辛かったからです。

 

笑うと現実に心が締め付けられて辛い。一見支離滅裂な言葉の羅列に見えますが上記のような理由があれば少しは理解してくださる方も多いのでは無いでしょうか。

 

不明瞭な部分が多い疾患をいくつも抱えていてどこにも属せない自分が辛いです。だからハッキリと病気や障がいという区分に置かれていてそういう人達のための待遇をしっかり受けられる人が羨ましいです。これは妬みでも何でもなく、ただいいなあ羨ましいなあと思っているのです。やる気も身体も自信も全部が全部中途半端な自分が許せないのです。だから死にたい。 死んで楽になりたい。

 

そういうスレスレの部分で生を実感する時期はもう終わってしまったんです。スレスレから落ちて、真っ逆さま、もう、早く、消えてしまいたい、死んでしまいたい。

 

でも死にきれなかったらどうしようって考えると更に不安になってきて、生きることも死ぬことも許されない苦しさから解放されるには何が必要なんでしょうか。私はいつまでこの苦しさを心の核に置かなければならないのでしょうか。

 

死んだら負け、もうそれでいいです。早く開放してください。もうこんな人生いらない。親から貰った命だから大切にしろなんて誰が言ったんだろう。親と子は血の繋がった他人です。そこで無理やり繋がりを作らないでください。お母さん、何で私を産んだの。無理してまで。私はこの世に生まれ落ちたくなかった。どこまでも中途半端な自分を受け入れられないの。どうして弟は何もしなくても外見に恵まれているのに私はバイト代をつぎ込んでも普通の人にすらなれないの。どうして、ねぇどうしてよ…

 

 

 

うんざりです。早く死にたい。でも死ねない。自信がないから。誰か私を楽にして。