一期は夢よ、ただ狂へ

芸術系に通う限界女子大生の日記。うつ病を引きずりながら復学。

徒然なるままに

 

日ぐらし、硯に向かいて

 

心にうつりゆくよしなし事をそこはかとなく書きつくれば

 

怪しうこそ物狂ほしけれ

 

 

硯に向かって墨を下ろしながら、とりとめのないことを思うような時間の余裕なんて今まで無かったように思う。

 

時間さえあれば既製品の墨汁をプラスチックの容器に入れ、好きでもない古典を薄いパルプ紙の裏面に何度も臨書した記憶がある。鍛錬という意味では最高の状態であるかもしれない。が、趣は一切感じられない。

 

体調を崩してからというもの、筆を持つのは郵送物に宛名を書くときだけに限定された。久々に持つ筆はいつものように手に馴染んでくれず、三過折(トン・スー・トン)で引いた線すら浮ついてて、何だか気持ち悪い。周りに遅れをとるまいと家にあるだけの書に関する本を引っ張り出して時々読んではいるけれど、同時進行で技術を磨いていないので自身が知識だけの頭でっかちになっていくだけのような気がする。大学で書を学んでいた頃の、字に対する情熱、創作力がここ数ヶ月でほぼ消えてしまったのは言うまでもない。

 

2年に入ってすぐに休学し、最近は悪夢にうなされることも、自室の窓際に座り込んで死にたいと怯えることも無くなった。時々電車を使うけど、飛び降りたくて仕方ない衝動や、たいして歩いてもないのに息切れがしてホームのベンチで休憩することも全くない。研究会の帰り、電車の中で泣きながら勉強していたのは一体何だったんだろう。疲れると希にいろんな症状がぶり返す時もあるが、このくらい誰でもあるだろうという程度のもの。

 

先日、佐賀まで2泊3日の旅行に出かけた。これは私がまだ元気だった頃に計画していたもので、最も安いツアーパッケージでホテルも航空券も予約していた。体調が戻らない…と家でゴロゴロしている間に旅行までの時間はあっという間に流れ、キャンセル料が発生する頃になってツアー会社から来たメールで「あ~そういえば予約してたんだった…」と全てを思い出したという経緯がある。

 

旅行先の地名を見てなんとなく察した人がいるかもしれないが、私はユーリ!!! on ICEが大好きだ。ここを深堀りすると私が本当に話したかったことに辿り着けない気がするので、今回は割愛させてもらう。

 

ユーリ!!! on ICE (以下YOI)が放送されていたのは私が高校3年生の頃だった。アニオタの友人にYOIを布教したところ、私たちの話を聞いていた、それまで全く接点の無かった女の子が釣れてしまい、気がつくとHRギリギリまでYOIの話をする仲になった。居眠り防止のために11話までは録画で見ていたが、最終回だけはリアタイした。見終わってからすぐにその子に電話をかけて、何時間も泣きながら語った記憶がある。その後も2人ともYOIの熱が冷めることはなく、一緒にイベントへ行くたびに「いつか聖地巡礼できたらいいね~」なんて話をしていた。そして今年の夏、お互いのYOI愛の重さへの自信(?)と資金がそれなりに貯まってきたことから聖地巡礼を決行したのである…

 

せっかく計画したのにドタキャンするのは相手に申し訳ないし、何より勝生勇利が生きた土地の空気を吸ってみたい…(気持ち悪い)

 

あまり体調が安定しない時期にこんなことを言ったら怒るだろうか…と思いつつ、恐る恐る主治医に旅行に行きたい旨を話したところ、「気分転換になるんならいいんじゃない?」とアッサリ許しを頂いたのでそれまでに体調を万全な状態に出来るよう気をつけつつ、聖地巡礼までの数週間をのんびりゴロゴロと過ごした。

 

そして聖地巡礼当日、体調も資金も満タンな状態で初の九州へと向かった。

 

巡礼の内容はTwitterのモーメントにまとめておいたので、気になる方は下のリンクをどうぞ。サーガ on ICE!!!の時期に行けて良かった。

 

 

巡礼に行った感想。

 

ただただ楽しかった。それだけ。

 

楽しかったという言葉を分解すると、そこには勇利くんの地元の方々の温かさであったり、綺麗な景色を見れたことであったり、色々な思い出がこの一言に詰まっていると思う。(分解された言葉たちもモーメントに全て収められているので、そちらをぜひ確認していただきたい。)

 

そして何より嬉しかったのはYOIというひとつの作品を通して色々な人との出会いがあったということ。

 

世界中を旅している人や自分の好きをしっかりと具現化している人。みんなが一度きりの人生を楽しく生きるノウハウを知っていて、苦しい思いをすることばかりが人生ではないのだと気づかされた瞬間であった。

 

私の周囲にいる人たち、特に私の師が…師弟関係になってから今年で5年になるが、共に過ごす期間が増えれば増えるだけ陰の部分が色濃く見えるようになった。私が弟子入りしたばかりの頃に見せた陽の部分は表面だけの作り物だということが、少しづつ分かってくるようになるのは想像以上に恐ろしい。向こうが心を開くたびに、陰の引力が強まっているようなそんな感じ。

 

そんな師にもちゃんと指導者がいる。その指導者というのは私が在学している大学の教授で、教授から見た師と私は姉妹弟子といった立ち位置になる。

 

教授は弟子を成長させるために常に厳しい言葉をかけるが、人によってはその厳しさが当たられているように感じて苦しい思いをすることになる。その苦しい思いをしているうちの1人に私も入っている。後に私だけでなく、師も同じ思いをしているのだと知る。

 

なんていうか、常に苦しい思いを抱えながら作品制作に一生を注ぐ師の心情が全く分からなかった。教授の顔を見たくなくて2ヶ月も稽古場に顔を出さないこともあるらしい。明らかに師弟としての相性が悪いのに、どうして別の道を選択しなかったの?薄暗いなかでどうしてそんなに藻掻くの?それが正しい人生なの?

 

そんなことをごちゃごちゃと考えつつ、何が正しいのか判断を鈍らせたまま師弟関係は続き、現在に至る。体調を崩した理由はひとつではないが、この出来事も含めて、今いる環境への疑問や、この環境で一生字を書くことになるという将来への不安が原因のひとつであることは確かだと思う。

 

 だから、周囲に薄暗い人生を歩んでいる人しかいなかった私の目には聖地巡礼で出会った人たちの前向きで楽しそうな姿が鮮烈に映ったのかもしれない。

 

聖地巡礼で出会った人たちがキラキラして見えたことを八の字氏(不思議な関係を持ったお友達)に話したところ「やっと気づいたか…」「○○ちゃんはもっと色んな人と関わっていろんな世界を見るべきだと思うんだ」などと、やっと話すべき時が来たかと言わんばかりにあれこれ言われたのが昨日。いつもは私の話をウンウンと聞いてくれるだけなのに、今回は珍しく心の内を見せてくれた。常にあった若干張り詰めたような空気が一気に緩んでいったのがちょっと嬉しかった。

自分が思っている以上に私は狭い視界でしか生きてなかったんだな、とその時改めて自覚した。

 

聖地巡礼を通して得たものは多い。自分のなかにインストールした新たな生き方をすぐに実行することは難しいかもしれないけれど、時間はたっぷりあるから自分のペースでゆるゆる形作れたらいいなと思う。

 

ひとつ前の記事で聖地巡礼への不安が書かれているが、その頃の自分に言いたい。巡礼中は常に躁状態で帰ってから数日寝込んだけど今はそこそこ元気にしてるよ!

 

浮かんでは消えていくとりとめのないことを折角だからブログという形でのこしてみた。もう少し元気になったらYOIをイチから見直すつもりだ。この記事は気恥ずかしくなったら消すかも知れない。